鶴屋八幡の歴史

三百年の伝統

鶴屋八幡の伝統は、約300年前の元禄時代まで遡ります。

鶴屋八幡の伝統は、約300年前の元禄時代まで遡ります。元禄15年(1702)創業で、江戸時代の上方で高名であった、老舗菓子店 虎屋伊織が鶴屋八幡の前身です。 正確には、虎屋大和大掾藤原伊織(とらややまとだいじょうふじわらのいおり)と言い、店の間口は六、七間もあり、その隆盛ぶりは『東海道中膝栗毛』に登場し、『摂津名所図会』寛政10年(1798)には、百花群がる盛況ぶりが描かれており、旅人が土産を買い求める姿や、菓子切手(商品券)を商品と交換しようとしている姿が伺えます。
その菓子切手こそ、江戸時代に発行された最初の商品券だと言われています。菓子切手は別名、饅頭切手とよばれ信用は絶大で、大坂内外で贈答用として盛んに用いられました。

  • 摂津名所図会
  • 菓子切手

大坂の名物

形小にして銭を咬むに似たり

青物詩選

品質管理の面でも、高麗橋三丁目の町年寄が、大坂名物の誇りを失うまい との配慮から、時々取り寄せて目方を検査していました。
江戸末期の著名な随筆『守貞漫稿』にも「大坂は高麗橋三丁目 虎屋大和 大掾藤原伊織なる者諸国に名ありて頗る巨店也 饅頭出島さとう製一つ価 五文也」と書かれております。
当時の饅頭といえば二、三文が相場でしたが、長崎出島の白砂糖に泉州日根野 の大粒大納言小豆を使い、一つ五文で『青物詩選』享和3年(1803)に 「形小にして銭を咬むに似たり」と書かれながらも繁盛したのは、味と老舗 の格がものを言ったのかもしれません。

伝統継承

鶴屋八幡の伝統は、約300年前の元禄時代まで遡ります。

明治の製造風景

江戸時代の商人番付にも度々登場し、幕末まで九代に亙り繁盛しましたが、 九代目当主 竹田七郎兵衛が病弱のうえ実子が無く、そこへ動乱期の世情不安 が重なり、160年続いた老舗も商いが行き詰まりました。
困ったのは、大坂のお茶人達でした。 当時は饅頭が有名でしたが、お茶席用の上生菓子が主力で商いをしており、大名や鴻池 家等の豪商、お茶人など顧客それぞれのお好みも心得ておりました。
そこで幼少の頃より縁あって奉公し、主人より厚い信頼を得ていた今中伊八が、お茶人や贔屓筋と九代目当主から「これよりは、我家製法を後の世に守り伝えよ」との有難い仰せと、主家に原料を収めていた八幡屋辰邨さんからの「商売の見通しが立つ迄、心置きなく材料を使ってよいから」との願ってもない後押しもあり、伝統の火を消すまいと、職人達と共に製法、技術を踏襲し、文久3年(1863)に同じ高麗橋に心機一転、鶴屋八幡として暖簾を掲げました。

  • 創業当時(商工技藝浪革の魁)
  • 大正元年の店舗
  • 創業者 今中伊八

屋号の由来

今中家は、代々大坂で刀屋を営んでおりましたが、その昔、家の庭に鶴が巣を 作った瑞祥と、恩人である八幡屋辰邨さんのご恩を忘れまいと「鶴屋八幡“つるややはた”」と命名し、今では“つるやはちまん”と呼び慣らされています。

主家への恩義

「人と人」、そして「人と和菓子」の出会いを大切に。

江戸時代より書き留めた多くの菓子帳は、現在も鶴屋八幡の菓子の基本 となっており、代々大切に保管しております。
また、主家には遺族がなかった為、その菩提寺(法界寺)にある墓石を 百数十年経た現在も守り続け、ご恩に報いるべく毎年創業記念日に幹部社員 一同で法要を営んでおります。
創業より多くの人々に支えられてきた弊店。それだけに人と人、そして人と 和菓子の出会いを大切に、これからも精進を重ねて参りたいと存じます。

  • 菓子帖(江戸時代)
  • 萬控帳(安政三年)
  • 虎屋伊織が菩提寺に寄進した梵鐘宝暦八年三月十九日(1758)<法界寺>
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